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【エネルギー代替は妄想ではなくなった】
喫緊の問題をエネルギーに限ると、在来の主力である、「化石燃料と核燃料を、再生可能エネルギーで代替する」ことが可能であれば、究極の姿であることは論を待たない。要はその可能性と時間軸の問題なのである。
横道にそれるが、自然エネルギーはローマクラブの温暖化の提言が発端のように考えられているが、低炭素化ではなく、エネルギー転換を予見した文章があった。
最近きっかけがあってジュールベルヌの「神秘の島」を読んだ.実はこれが、私たちが少年の日に、手に汗を握って読んだ「海底2万マイル」の続編だったのである。
この中に「水が燃料になる日は必ずくるよ。電気分解すればいい。水こそは未来の石炭なんだ」というくだりあって、本当にびっくりした。これは今でも理解者の少ないグリーン水素(化石燃料から作らない水素)をいいあてているのだから.
ちなみにこの小説が書かれたのは、日本では福沢諭吉が「学問のすすめ」を書いた年である。なんと石炭の時代に続いた石油の時代を通り越して、予見しているのである。
エネルギー問題は3.11のあとに、多くの人から再生可能エネルギーによるエネルギー代替が真剣に議論された。しかし2年少したった今はどうだろうか・・・。
「のど元過ぎれば熱さを忘れる」、我ら日本人の大きな欠点(美点かな?)通りの経過をたどっているではないか。
「電気が値上がりすれば、日本の輸出は成り立たない.企業は海外移転をするしかない」というセリフで恫喝されれば声なき庶民のトーンは下がった。しかし電気は総量が足りなかった訳ではなく、値上がりは化石燃料の為替変動によるコスト上昇が一番大きい。
国民的な総意のように見えだしていた「原発をたたもう」も、政権が代わって、株価が上がれば、なし崩しにひとりの総理の権限で、再稼働が当然のように動き出す。
もとより感情的な発言をするのは好きではないし、この場で是非を言っているのでもないが、これが戦前からずっと繰り返された日本人の姿なのだ。
しかしその間も世界では、3.11を横目で見て決心したり、決意を固めた国もあるし、国民投票で決めた国もある。そんな国ばかりではない。再生可能エネルギーに関して言えばお隣の大国で何が起こっているのか・・・・アメリカは利己的に化石燃料を国益として使い続けるのか・・・日本人はあまりにもそうしたことに無知である。
自国については、指導者だけではなくマスコミも「日本はその冠たる技術力で世界に貢献する」と平気でいっている。
この3年間でエネルギー先進国?は大きく変わってしまった。しかし最新情報を見て、現実の数字を集めたら、自然エネルギーにより大半のエネルギー代替をすると言うゴールが見えて来た国々が浮かんでくる。