冬空に悠久を想う   

        2020/12/20         サイトトップへもどる

       【発端はコロナから・・・】

 

 誰が言っても、今年はコロナからでしたね。

個人差が無視されて、「後期高齢者」と分類されると、あまり得したことは

ありません。

小生の場合は、飽きもせず、箱根の西麓に続く小道の散歩ばかりでした。

でも季節の移り変わりは、富士山の遠景や、小高い所から見る駿河湾越しの落日、

小さな流れの岸に咲く花の移り変わり・・・などなど

見えなかったものが、しっかり観察でき、佳()い時間が流れていきました。

 

 こんな時世に、敬愛する養老孟司さん※はこんなことを言っています。

 ※解剖学者で、「バカの壁」の著者、愛猫と鎌倉に棲む

    日経ビジネスの取材記事から引用

 

ーーー前略ーーー

コロナ下で僕が意外に良かったと思っていることがあります。

それは暇ができたこと。

今はじっとして隠れているのが一番利口でしょう。

力があればともかくとして、僕ならそうします。

余計なことは一切しない。鎖国が一番いいですよ。

 

コロナは人災・・・  ーーーー中略ーーーー

 

 「生き物というのはひたすら動いて変化しているのに、



情報化というのは
それを止めてしまう行為なんです。

 猫の動画を撮ってみれば、よく分かりますよ

次の日に見てもまったく同じ動画ですが現実の猫は1日年を取っている。

うっかりすると次の日に死んでいるかも分からない。人間も同じですよね。

情報化で固定する世界では先が読めることになっていますが、

生きた世界というのは、実は読めないんですよ。

 

 情報化社会のマイナス面が今後絶対に明らかになってきますよ。

繰り返しになりますが、現物の人間と情報は違いますから。

人間は絶えず変化している一方で、情報化は硬直化ですからね。

僕はよく言うんですけど、本人がノイズになっているんですよ。

(ノイズでも私は同感→→深い洞察力を感じます!)

死というのは二人称しかないんです。

 「今だけ、金だけ、自分だけ」では駄目だと分かるはず、

まり、自分で自分が死んだことは分からない ということですよね。

         ーーーー引用終わりーーーー

 

   【閉じこもりでも 「人」との「交友」は続く】

 

 歳をとってもとらなくても、歩いて出会いがなくても、交友は可能です。

養老さんの言う「二人称」の世界は、大切なものを教えられた気がします。

 普段の仕事は昔から情報化のカタマリのようなことを続けていますが、

交友の世界はそれほど影響がなかったように思います。

(つまり、「情報と無縁」かな・・)

 

 ここでやっと、同級生で・現役ドクターで・画家の友人K君が登場します。

彼と例年の話題となる東京新美術館での示現会展も、今年は中止となりました。

彼はそれなりに昨年から準備をしていましたから、彼が何を描きたいのか

ウスウス想像していました。そんな情報の少ない間に、色々と思いを巡らすのが

小生のこれまた例年の楽しみでした。

 今回も実物の絵を見る前には、メールや、携帯の会話から、情報が洩れてきます

 

※やっぱり山の絵を描きたいようで、しかも人気(ひとけ)のない山のようです

 その山はどこかで、「天とつながっている」ような感じです

 彼の意識の下敷きになっているのはまだ学部生の頃、公衆衛生フィールドワークと

 称して?玄界灘の小島から、海を隔てた九州本島の山を描いた絵の存在を知りました。

 その絵も雲の輝く空がダイナミックで、奔放な若さが良いのです。

 

        【今年のテーマの発端は意外でした・・・】

 

1月になってK君から「グランドキャニオンの絵をかきたい・・」のお告げ!

 そこは彼の再訪の地のようで、変える気配はなく「不意打ち!」でした。

小生には「行ったことも、見たこともない景色」を考えることは楽しいことです。

さっそくネットで調べ始めました(普段はいつもやっていることですから)

 

 アメリカの国立公園、グランドキャニオンは、気が遠くなるほどの年月をかけて

コロラド川が大地を侵食していった渓谷です。大地はもっと昔の大陸移動のころ

プレートが隆起してロッキー山脈が出来たのは7千万年前のことで、

ビッグバンの後で地球が出来たのは30億年前ですから、新しいとも言えます。

いずれにしても、「海の底にあった地層が褶曲して天空に接する」というのは

日本を含めヒマラヤも、同じような状況のようです。

 

 後から聞いたのですが、K君が受け止めた印象は「悠久」という表現です。

それは、私も好きなキーワードだからよかったのですが、「何が悠久なのか?」

といえば、人によって違うことに気が付きます。

 「人間」のことなのか「大地」のことなのか、それで「悠久」という言葉の

受け止めは変わってきます。しかし「生命:いのち」と言いう言葉を挿入すると

どちらにも通じる「悠久」はあるはずです。

 

     【「生命の起源」を考える機会が増えました】 

 

 私には今は札幌に住む友人がいて、山友でもありますが、絵を描きます。

奇縁と思いますが、彼も以前から北海道の風景を示現会に出展しているのです。

その絵を描く友人が書いた本?「錯視の地動説」を謹呈していただきました。

「錯視って、だまし絵以外は真実」と思っていましたから、面白いが納得出来ず?

2ヶ月くらいは、いろいろな資料をネットで探し、あれこれと考えていました。

 ・プトレマイオスの天動説以前(天地創生)宇宙~カントの純粋理性批判まで

 ・東京工大のWebセミナーで「生命を育くむ天体は宇宙にあるのか」を聴講・・

    そこで「大日如来さまが中心にいない曼荼羅」見ました

         

  

   最新の科学ではこんな「曼荼羅:マンダラ」があるのです 

もちろん全部わからなくても、CH4(メタン)の有無がキーなのです

    それにしてもハヤブサはよく頑張りましたね‥脱線

 

 ・ゴッホの「星への旅」(岩波新書)をよんで、これで確信を得ました。

   彼の印象派の絵画がヒントになりました

 「ヒトの行動を支配する感動」の科学的な定量化は非常に困難と気付きました。

   それからこのパラメータを「感動係数」と名付けています

   ある意味で人の行いを狂わす時があります!

    そんな時には小生は三法印の「諸法無我」を唱えることにしています

 ゴッホはアルルの空に見える星はすぐ行けるような気分になって旅立ったのです。

 

最晩年にゴッホの描いた「星月夜」です これは錯視ではなく真実だと思います。

なぜなら別の友人(私の天体観測の先生)によれば、描かれた星の全部が星座と

同定できるとのことです。

有明の月や、明けの明星をはじめ、牡羊座や、アンドロメダ星雲の〇等星・・

彼が好きでよく描いた糸杉やその右にある教会(ゴッホが入院した)・・・なども

皆同じ世界というより、同じ画面(プレイン)にあるのが彼の哲学と思います。

この絵はゴッホの描いた曼荼羅(マンダラ)かもしれません

 

    【命の繰り返しを考える時が増えました・・・】

 

 突然ですが10月になってK君から「悠久」の絵が渡されました

  

下記からグーグルのホルダーから原画が見えます

https://photos.app.goo.gl/KLnwk8wips3DbYJ4A

 

 いかがでしょうか・・・

これだけすっきりして、きれいな絵は感動係数∞(ムゲンダイ)ですね。

「言葉不要で懐かしい」、いつか見たことのあるような気がしませんか?

 理由は(人間はもちろんですが)無機的に見える大地は「生命を受け継いで、

不安定な生命が変質する前に、絶えず作り替える宿命がある」とされるからです。

 

 「見た、見てない」は別として最近「輪廻転生」をよく考えます。

K君も小生もお互いに「オレは〇〇の生まれ変わり」と年甲斐もなく競い合って

楽しんでいます。勝手に宣言ができるので迷惑はかけないと思います ^^

 

        【今年に区切りをつける!】

 

やっと冬らしくなりましたが師走の感じはしません、あのコロナのせいです。

でも自然はきちんと歩いています。

皆さんも「葉っぱのフレディ」の事は知っていますね!

私は森繁久弥の朗読CDを大事にしています。

これは実は「諸行無常」のことなのです。

 

「最後の一葉」はオー・ヘンリーの小品で、タイトル通りのシナリオですが

少し自然に感じられないのが難点です。

 

 わが陋屋のフレディは「山法師」なのです

「一葉」ではなく比叡山由来?の「集団」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 
フレディは来年も還ってきます。必ず帰ってきます、この枝に。

 

   聲(こえ)も絶え 夕陽のこりて 冬の空

     いずくに翔(と)ぶか   また逢う日まで

 

-----太陽と大地の恵みで 自立する国、日本を創ろう-----



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