尾瀨に通うようになって半世紀以上が過ぎた。
当時は、まだ訪れる人が少なかったころで、自家用車が沼山峠まで入れた。
小さかった子供達を連れて、鳩待ち峠をこえて尾瀬ヶ原へ下ったこともある。
最近の10年くらいは、気のあった少人数の同級生で毎年尾瀨をさまよう。
行き方も上越新斡線で上毛高原着、バスに乗り換えてゆっくり鳩待ち経由だ。
ラクチンでよい。夜行のバスなどトンデモナイ・・・・
友人も筋肉痛、腰痛だの、皆平等に高齢者になっているから、急いだりはしない。
1日目
今回は大清水から、三平峠越えで尾瀬沼を目指した。
乗り合いタクシーが、大清水から市ノ瀬までの林道を走ると聞いたからだ。
ところがサービス開始が半月先だったので、まじめに歩いた。(>o<)
しかし期待通りの、むせかえるような青葉若葉、繁殖した蝶の群舞など楽しい。
予定時刻前にーの瀬着、なんと地図のコースタイムより速いのダ!
そのまま調子を崩さぬよう、山道を三平峠の登りにかかる
ところがすぐ歩き出して右足が攣る。(*^O^*)
気を引き締めて登り始める。
小さな水芭蕉が美しく迎えてくれる 「お久しぶり!」
(水辺の白い点々が、水芭蕉です)
尾瀨沼は静寂そのもの、頂きに雪を残した燧岳が沼面に映る。
「尾瀬沼」は「尾瀬ヶ原」と違い「尾瀬が沼」とは誰も言わない。
あたりまえだが、「原」と「沼」の違いだ。
尾瀬沼にはあれ以来、いつも、静寂さと、逝くものの哀しさを感じる。
あの大震災の年は3.11のあと、一人で尾瀬沼に向かった日の夕暮れを思い出す。
そして今日も鎮魂の聲がきこえてくる・・・
雪残し 燧岳(ひうち)の聳(こえ)は 陸奥(みちのく)へ・・①
鎮魂(しずめ)の祈り 沼面(ぬまも)をわたる・・②
陸奥(みちのく)の 春送る日か 風寒く・・③
注.連歌です ①→②で一首、③→②で一首
前でも、後ろでも付けていただけば、メールでお送り下さい
ホームページに反映します。
ヒュツテは村営だけに相変わらずこぎれい。
受付のオッサンがアイソなしで、料理もチマチマになったが・・・
それは日本人が小さくなったから。
日本酒も置いていないみたいだ。
散歩の時間だが、何となく寒そうでおっくうになる。
とにかくいつでも潜り込めるよう布団を敷く・・・
となると「低体温になるとコワイからやめる」と決める。
我が友は一人ででかけたが、散歩からすぐ戻って来た。
やっぱり寒かったようだ。
寒い、毛布の上に掛け布団にして温かくなり、夢路につく。
2日目
何度も尾瀬にきたが、今日が一番の快晴。これが一日中続いたのだから。
元気に定刻7:00発、歩き慣れた水辺から沼尻をめざす。
↑ 地名は見えなくても 尾瀬沼から尾瀬ヶ原への横断です(*^O^*)
沼尻にいたる湿原の水芭蕉は小さくて、白くて、可憐!
驚いたのは数年前焼失した沼尻の休憩所はコンパクトに建て直されていた。
なんとソーラーパネルが目視で4KWくらいが屋根に載っている。
白砂峠を越え、長い林道を、スタスタ?と、見晴らし十字路へ。
開けた尾瀬ヶ原の景色が良いのに、給水だけで休みもせず、温泉小屋にむかう。
(早く着きたいのは魂胆があるからだ)
温泉木屋の隣で営業していた茶店にザックをあずけ、裏燧林道の山道をいそぐ
去年は開花時期に遅れ、会えなかった戸隠ショウマと今年は再会だ。
途中ですれ違った、名札を付けたお二人(環境省のお役人!)に花の情報をきく。
我々のお目当ての花は、この先のニケ所で咲いているそうな、無中でさがした。
結局マークしていたの二番目の沢の渡渉地点の近くに、若い花の群洛があった!
この花が何故気になるのか、一言で言えば、この花は上品なのである。
絶滅危惧種の稀少性と、花の生命の短かさを考えると、女王コマクサより上かな。
戸隠で発見され、漢字では「戸隠升麻」と表記されるが資料が見つからなかった。
牧野富太郎さんだったら、なんというだろうか?などと思っていたが・・・
最近性根を入れて探して、やっとネットで見つけた。
ヒントは昔に小屋番さんに、どこかの学校の校章に使われていると聞いたからだ。
なんと長野師範学校(信州大)の附属中学の校章であった。
校歌もわかった。 作詩 佐藤春夫 作曲 平井康三郎のコンビである
歌詞は ”♪旧年の雪うちはらい 戸隠しょうま咲き薫る♪”とリフレインされる
花の実物は苦労して、大正天皇のご巡幸のおりに献上して、喜ばれ
ご下賜金までいだだいたそうな・・・
大正の話題はミッシング・リンクのようで少ないが、良い時代であったとおもう。
しかし「升麻」の意味はまだ分からない。名前捜しのロマンは続く・・・
どなたでも、分かったら教えてほしい!
茶店にもどってもまだ11時頃で、時間はまだたっぷりある。
それをいいことに(歩きの残りが平担で3Hで充分とみて)昼はビール付とした
しばらく山での昼ビールはしていない。
茶店のおじさんからカンビールをわけてもらった。これまた「一番搾り」(*^O^*)
これで昨日のコンビニで仕入れ、残したおにぎりが美味しかった。
午後は東電小屋→ヨッピ橋経由→山の鼻の尾瀬ロッジだ。
池塘に映る「逆さ燧が岳」をみながら、「白樺の貴婦人」に今年の挨拶をする。
今年も健やかにお暮らしのようだ。
小屋泊まりの旅の楽しさは、早く着いて周りの景色をみながら、夕暮れ前
ー杯をゆっくりやることに尽きる。食事やねぐらの心配は要らないのだから!
石けんの使えぬ小さな湯船でサッと汗を流し、ロッジの表のテーブルに座る。
白樺が白さを残す黄昏れ。ビールと地ワインを少し飲んだ。
3日目
定刻出発して、鳩待峠も1時間でつき、ちょうど出発するバスに乗れた。
村営の温泉で汗を流し、缶ビールにもありつく。
沼田方面のバスを途中で下車して、予定していた「吹き割りの滝」に立ち寄る。
めあては十割そばで、水石(すいせき;屋号)さんという蕎麦屋さんを見つけた。
建物は地方の名士の別邸だったらしい。古いがしっかりした木造二階建て。
一階が蕎麦屋さんになっている。二階には軸物や骨董がならんでいる。
常温の地酒と蕎麦を楽しみ、あとから二階に上がり見学させてもらう。
そこでこんな「書」(1文字だけ)を見つけた。
東日本大震災の後で、片品村の人たちが、なんとか被災者の方達を励まそうと、
自分達ができることを色々考えた折の話しらしい。
やっぱり日本人は「エコノミック・アニマル」だけではない。
沼尻の小屋や片品村でみた、エコを大事にし人に優しい、もうひとつの日本人!
今回の喜寿の遊子の旅はそんな人々に会えたのである。
2019/07/08 前嶋 規雄記