休息の刻(とき)                  サイトトップへもどる

焼津のドクター「ゲーテの詩」を描く

 

 明治の川柳に「ギョエテとは 俺のことかと ゲーテ言い」があります。

もともとドイツの詩人ゲーテは、ドイツ語では"Goethe"とつづりますが、

このときのoeはオーウムラウトと同じ発音になるとのことです。

さすがにウチのドクターはカルテをドイツ語で書いた時代の人で、

「ギョエテ」のウムラウトをご存じでした!

 

 今回は「ゲーテを感動させた遺伝子がなぜか焼津にもつながっていた!」

と言うハナシです。

 

昨年は「全部読むのは疲れた」のクレームが多かったので、

最初にタネあかしです!

Kクンのお父さんがギョエテのファンだったのです。(後に判る)

そして、ワタシは泣く泣く、できるだけ短編にしました。

 

 ゲーテは、母校の野球の応援指導で、塚本先輩からよく聞かされた、彼の詩

「青春 青春 青春またかえらず」で、今でも記憶に深く残っています。

彼はまず、片手を腰に当て、残りの片手は拳を空に振り上げて、

出典の独語を、英語で、日本人がヒトラーのように、??こう叫ぶのです。

Youth Youth nothing but Youth!」※「かえらず」は含まず「余韻」で代行。

 

 これは「名訳です」、というよりは、もう別の創造ですね!

「秋の日の ヴィオロンの ため息の 身にしみて ひたぶるに うら悲し」

明治の上田敏さんも見事に韻を踏んで、私たちの聴覚に訴えてくれますよね。

 

 何でこんな説明をするのか? 外国語を日本語に訳すのは実に大変なのです。

その理由の一つは、外国語は、とかくボキャブラリが少ないのです。

「単語の使い回しで、何でも表現する」ようになっていると私は思っています。

ゲーテの詩の(独語の)ある単語が、今回の主題なのです。

 

ちなみにゲーテさんはこのように、ハンサムに描かれています。

 

イタリア旅行のローマ近郊におけるゲーテの肖像」ティシュバイン画1786

 

 さて昨年の、とある日に、「Kクンの絵を楽しむ会」の幹事長さまから

「(今度の絵は)焼津と連絡が取れているの?」との訊問?がありました。

 これは言い訳ですが、Kクンはとにかく現役のお医者さんです。

患者さんとの会話が大切で
病院の関連官庁の対応、癌学会の参加まで、

かなり忙しいのは知っていました。

 でも無視は「ヤバイ」を感じ、まあ次のように、偵察を始めました。

 

 「今度も絵を出すの?」、「うん出すよ」と彼は素直にこたえました。

彼の院長室でラーメン??※をご馳走になりながら、「どんな絵?」と訊くと、

その辺のあり合わせの紙に、鉛筆で構図を書いてくれました。

「なるほど・・・」、私も大好きな「遠くに山の見える絵」のはずでした。

 

 Kクンの言葉によると

・・・・このごろ、少々ヘタバッテ、「休息」の必要性を感じていた時に、

日没前の雲の陰りと、遠方の〇〇山上空に広がる奇麗な空の色を見て、

「休息の刻(トキ)」を感じ、これを表現したい・・・

とのノタワマリでした。

 

※私は毎月1回は浜松市(再生可能エネルギーによる地域創成の応援)で

 焼津で途中下車して、時々病院に立ち寄ります。

 (ここの栄養科のラーメンが絶品で、それがお目当てなのです)

 

 先月、お邪魔したときは制作中の絵を、ケータイで見せていただきました。

できるだけ皆さんが絵をご覧になるまでは隠蔽?すべきと思いますので

予告編としては山名も伏せ、予断をなさらないように最小情報に留めます。

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木々の沈んだ色の

森の上の中空は

夕暮が一日の終りを伝えている

陽おちぬべし 西の彼方へ

たたずんで憩え  旅人よ

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 そんなメッセージが伝わってきました。

何で急に旅人が出てくるのかって?

奥の細道が始まる、あの「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」

そう、私たちは「人生の旅人」なのです。

 彼の以前伝えてくれていた「休息の刻(トキ)」は、私の中で醸(かも)され

「安らぎ」に変わっていたのです。

 

 尊敬する漱石の「草枕」ではありませんが、ゲーテの詩の断片が我がアタマに

浮かんだのです。
タイトルはご存じの方も多い「さすらい人の夜の歌」です。

そこで日本語訳を確かめてみました。原文もチラリと見ました・・独和辞書を手に。

 

 この詩には、多分10人以上の日本語訳が探せるでしょう。

 

 峰はみな しずもり

 梢に 風の そよぎなく

 小鳥は森にふかく黙(もだ)す

 待てしばし やがて おまえも憩えよう

    「ドイツ名詩選」(岩波文庫)

 

訳者不詳もあるのですが、菅野昭正訳は次です。

 山々の頂に 憩いあり、

 木々の梢に かそけき風の そよぎもなく

 小鳥は森で黙すのみ。

 待てよかし、やがては汝にも憩い来らん。

 

肝心の「憩へ 汝もまた」の部分ですが、原文では Ruhest du auch. です。

 

 独文学者の手塚富雄さんによる、ゲーテの詩のその部分は、次の通りです。

 ・・・「待っているがいい、いずれすぐに おまえも安らぐのだ」・・・

 

この「やすらぎ」は癒やし系の表現を越え、日本人の死生観である「終焉」を

感じる人も多いと察します。

 ワタシには「やがては」とか「待っているがいい」が裁判官のようで

人の心の落ち着きを失わせて、逆効果のように感じられます。

 

 かくの如く Ruheルーエ)の独語はこれ一つなのですが、日本語訳には

「憩い、静寂、休息、平和、休眠、安心、終焉・・」までかなり多様なのです。

 

 ついでにゲーテは、いつ、どこでこの詩を作ったのか、調べてみました。

ネットにぶら下がった「知」は実に便利で、すぐ判りました、写真付きで!

 

 まだ若きゲーテが訪れた狩猟小屋と、その小屋の扉に書かれた「旅人の夜の歌」

 元の小屋は1870年に焼失しています。

 

   ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーーーーーーーーーー

これはドイツの詩人ゲーテが、178096日(1783年説もあり)、

キッケルハーン(Kickelhahn)という標高861mのテューリンゲン地方の

山の簡素な山小屋で創作し、板壁に書きつけたものです。

1749828日生まれですから31歳になったばかりのときの詩です。

そして死の一年前、すなわちこの詩を書き付けてから50年後に再び

この山小屋に登り、自作の詩を見て涙したと伝えられております。

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これを見て私はずっと感じていた疑念がなくなりました。

ゲーテは同じ場所に、壮年の31歳と最晩年の81歳のときの2回訪れています。

ちなみにイタリア旅行の絵が画かれたときは37歳ですからもっと若いときに

この詩を作っているのです。

やっと Ruheの曖昧さの謎が解けたのです。

 31歳のときは、働きすぎた時の休息のような「憩い」 菅野昭正訳

   当時ゲーテは国家財政の立て直しに奔走していたとのことです

 81歳の時は いずれすぐに来る「安らぎ」 手塚富雄訳がなるほどです。

 

さらに他の文献を探すと、大山浩太さんという方の労作の中に

旅人は「最後におのれ自身の内心の静けさに耳をすまそうとする」とあります。

「小鳥は森で黙す」ゆえに、伏線になっているようです・・・・同感!

 

 ワタシのこの辺りのサトリのことは伏せて、電話で、Kクンに訊ねました。

Q:「今度スケッチしたあたりは、昔なじみで、何度か行ったことがあるよね」

A:「壮年のころ、仕事の骨休みにステイした場所付近の散歩道から見える

   景色だよ・・・何でそんなことが判るの??」

 

 同じ文章(詩)や映像(絵画)でも、受け取る人の感性や、時間経過でも

変わることがよくわかりました。

 狩猟小屋の板に文字を書いた英米人?には ”Peace”になってしまうのです。

   小屋の扉の写真参照

これはもう「赤点」で、限りなく誤訳だと日本人の私には思えます。

 

 もうひとつ味わいたかったのは、後年のシューベルトの歌曲です。

シューベルトはゲーテの詩から二つの「旅人の夜の歌」を歌曲にしています。

 Op.97シューベルト:「旅人の夜の歌」D.224D.768と2曲セット

 *D.224 は181575日 「悩みと苦しみ→甘きやすらぎ」別の詩です。

 *D.768 は18247月以前 「山の頂に→Ruhe」:今回の詩が歌詞です。

この曲はユーチューブで簡単に聴く事が出来ます。

ハンスホッターの曲もありますが、お薦めは森本祐二さんの歌で静止画が綺麗!

    https://youtu.be/p3GFwXIpuvE

 

・・・・・・・・・・

 これはドクターが先に気付きいた!背景の写真は南八ヶ岳と南アルプスです。

ワタシとKクンは別々ですが、二人には同じ頃の青春時代の思い出の山々です。

 

 マルチメディアの面白さは、画面でゲーテの詩を眼でみながら歌曲を聴けます。

今後やりたいのは、Kクンの絵を静止画(2分位)にして、詩は短歌をそえる。

(テノールとか)ピアノは級友に頼む・・・ですね。

きっと、患者さんが病院で楽しむCDが(その内に)できると思います。

 

 Kクンの絵は間違いなく Ruheを彼が77歳の折りに、描いています。

それは視覚とすれば、まさに「黄昏の刻(とき)」を画いています。

それが、休息なのか、憩いなのか、安らぎなのか、今はこだわりません。

物理的に言うとゲーテの81歳に近い時の彼には「終焉」なのかも知れません。

 

 間違いないといえるのは、Kクンが絵に描いたのは「ゲーテのあの詩」でした。

彼も人生の幾星霜を隔て、また訪れて佇むのは、後年のゲーテと「酷似」でした。

彼は「ゲーテのことは何も思わずに絵を描いた」と素直に自白?しています。

・・・・・・であるならば世の中にはこんなことがあるのです・・・・・・

ゲーテは「焼津のドクターに感動の遺伝子をのこしていた?!」のです。

 

 ワタシは最近亡くなった永六輔さんの使う「大往生」なる言葉が好きでした。

「終焉」ではなく、続きの「向こうで生きる」があるから「安らぎ」が◎です。

芭蕉師に訊くまでもなく、所詮私たちは人生を歩く「旅人=過客」なのです。

 

 今度の示現会(日展系だそうです)で、実物にお目にかかるのが楽しみです。

 

 絵のタイトルですが、瞼の中の写真から、ゲーテのテレパシーが飛んで来て

ワイヤレス技術者の私は、「さすらい人のやすらぎ」と解読しましたが

制作者と余りブレることが少ないので、「休息の刻(とき)」で手打ちです。

 

 追記 2019/04/06

春爛漫 好天に恵まれた一日、まさに「花のお江戸」で桜めぐりをしながら

国立新美術館で、楽しみにしていた、彼の絵にあいました。

 想像通りこんな絵でした。 

    中央の遠景が御嶽山・・・・   荘厳な感じがする夕景です
 

 

   夕空が  さすらう人に  ひぐれ告ぐ

      森も聲(こえ)なく  安らぎ満ちる

 

 絵や、文字や、音楽が、生きていくものに

元気をあたえてくれるものだと良くわかりました。

旅人には、佇んで憩うことも、同じように大切ですよね

 また来年も・・・・

 

-----太陽と大地の恵みで 自立する国、日本を創ろう-----

前嶋 規雄  (オフィス エム・ソリューション) 

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