尾瀬晩春 ワタスゲ揺れて        サイトトップへもどる

今年の尾瀨は、雪が早く溶けたせいか、植物の成長はきわめて早い。

水芭蕉からレンゲツツジに早くも主役は変わっている。

そんな中、尾瀬ヶ原を歩いた6月14日は典型的な「梅雨の晴れ間」の一日だった。

「至仏山」と「燧ヶ岳」の両雄がくっきりと、そろって見えた。初夏といっても

心地よい風が少し吹くだけである。

 

 影のない景色に包まれていると、ふしぎなことに、「静かさ」を感じることに気づいた。

しかし「音」が聞こえないわけではない。

音源は二つで、うぐいすの聲は相手を呼ぶように、切れ目がなく続いている。

もう一つは時々だが、野面(のづら)を渡って流れてくる、「カッコー」である。

こちらは、真昼に聞くと、夕方の森の中のそれと違って、寂さ、淋しさ?がない。

 (いつか音声をキチンと録音して、声紋を検査したら、差異が判るかも知れない)

いずれにしても尾瀨のカッコーの聲を楽しみに来ている。

 

 「こころが静かである」と気付いても、誰でも皆さんの個性的な印象があると思う。

第一文字からして「静か」「閑か」では意味が違うし、「何もない」ことではないらしい。

若い頃少し経験したが、「瞑想」というのは、何も思わないことではないらしい。

「心頭を滅却!」などといわれても、「できた」と判断できる自信はない。

ところで「歩行禅」というのがあるらしい、ワタシには、滑落がコワイが (*^O^*)

 

 とにかく「非日常」で「自在」なら、逆に「いろいろな気づき」がたくさん出てくる。

しかしあの「播隆上人」のように、槍ヶ岳に登らなくても・・・・

 この頃では「行ったことが無い」とか「少しでも高い山」に行こうとは思わなくなった。

自分の体力との「ご相談?」もあるが、別の気分で「山(自然)との出合」を考えるように

変わってきた。つまりリピータになってきたのだと思う。

感動は出す側(山とか花)ではなく,受け手(つまりワタシ)の感性(年齢とは別!)で変わる。

・・・となると、今日の「尾瀨」は誠にすばらしい気分だ。

 

 今年もまた尾瀬ヶ原の女王さま(ワタシがそうよんでいる白樺の化身です)に拝謁!
この原の、強い風や深い雪に耐えられて、恐れながら少し背丈が伸びたように思う

 

右上の沼山峠の上の雲を見ると、♪夏が来れば思い出す・・・が聞こえてくる

 盛りを過ぎた花をながめるのもいい、故人曰く 「盛りばかりを見るモノカヤ」

でも木道の上で、セカセカ行ったり来たりするヤツもいる。そう蟻君だ。

人生さまざまだね。

 

 

 雪が消えすぐに生えてきたのだ。まるで「戦車に立ち向かう民衆?」のような戯画だ。

そう「プラハの春」でなくここは「尾瀨の春」なのだ。

次の雪が降る前にキノコ君が自分で消えるとよいな (*^O^*) 

 

翌日は会津御池を目指して歩く。

 

いつもの沢には今年は雪解けが早く、可憐なトガクシショウマの花はすでに消えていた。

「またくるから」と若葉に言い残して、裏燧林道を歩く。

 

 この辺りの池塘には、〇〇田代という名前がついている。尾瀨で一番好きな池塘は、

尾瀬ヶ原をぬけ、会津に抜ける裏燧(うらひうち)林道にある。

標高が高いせいか、遅くまで、ほとんどの山野草も残るし、時には鹿や小動物にもであう。

 

 

 年たけて また越ゆべきと 思ひけん

          ワタスゲ揺らせ  燧岳(ひうち)の裏も

   はつなつよ 尾瀨を渡るか かげもなく

 

 注:この歌は上から詠んで1首、下から詠んでも一首
   発句は我が歌の師から無断で借用

   この頃気に入っている、「一人連歌」のスタイルです

 

 人に出会うことも少ない。ゆるやかなアップダウンでいくつかの雪解けの沢を渡る

横田代に近くなるところで、瓔珞(ようらく)の咲き誇るさまを見た。

図鑑で名前は知ってはいたが、帰ってから、WikiとかYahooで検索すると

仏像の天蓋を飾る仏具の紹介が多くあった。しかし似たものを探し出した。これだ!

 自然界の中で、具象化された、美しい花は、やはり宗教とつながっていたのだ。
巧まざる「神の手」がつくったその名前は瓔珞(ようらく)だったのだ。
神や仏の区別には拘らないが、この際は、なんとなくほとけさまに似合う気がした。

 

沢を越え 田代を過ぎて 遅き春

 ようらく咲いて ほとけの國へ

 

    2018年6月20日 前嶋 規雄  記     サイトトップへもどる