----予告編---- 2018/03/31
学友Kクンの絵の世界に、足を踏み込んでしまってから数年以上が経つ。
昨年の示現会の絵「風立ちぬ」には、ハマってしまった。
今年の示現会の絵は、関与のしかたがひどくなって、咋夏はロケハンならぬ
スケッチの現場探しに、北アルプスまで一緒に出かけてしまった。
北アルプスと言っても、登山ではなく、尾根の高所から見る景色や、高山植物が目的だ。
八方尾根、遠見尾根のゴンドラで終点、彼は画材をかついで、そこから歩いた。
天気があいにくで、遠望ができなかった。不発!だったのである。
---中略---
その内に、彼はこう言ってきた。
「アメリカで仕事をしている息子のところに行き、ついでに五大湖の辺りに行く」という。
患者さんのために、現役で毎日忙しくしているのだから、息抜きも必要だ・・・
そして「あの辺りでスケッチして、海外の風景を描くんだ・・・」と思っていた。
しばらくして、「どうだった?」と訊ねると、なんと「タヒチにいった」という。
「今度の絵の命名は任せて!」と約束したサポーター氏(ワタシ)も、目測が狂った。
まるで忍者もどき(もちろん甲賀流!だろうが)の行動だ。
そこからご本人はゴーギャンの話しを始める。「ああタヒチはゴーギャンか」・・
要旨はゴーギャンは後期印象派で、「示現会の絵は写実的なものが多い」・・
Kクンのこの話しや、最近のボヤキから察すると、「自分の絵を変えたい」と理解した。
携帯は便利なもので、会話は昔読んだ(ゴーギャンがモデルの)サマセット・モームの
デビュー小説「月と6ペンス」へ異口同音に、話題がワープしていった。
同級生というのは良いもので、英語の副読本か何かでなじみになったモームが、
無理なく「共通の話題」になるのだから・・
おかげでサポータ氏は、正月を夾んだ時間の大半を、彼の意図と、「月と6ペンス」の
関係を、「彼の意図に沿って纏める」ために、「モームの研究」で費やす事になる。
「月と6ペンス」をCD版の朗読で、耳で読むことができた(現代はラクチンで便利だ)
目的は彼の新しい絵を、「月と六ペンス」を下敷きに「理論武装?」をすることだ。
その1 「ゴーギャン」なるものを肯定しなければならない
その2 Kクンの見たどんな景色と、どう結びつくのか・・・
この同時クリアは難しそうだが、ワクワクした。
しかし小説を読めば読むほど、ゴーギャンを肯定的に受け入れる納得性がないのだ。
当時タヒチは、不毛な文化に疲れ始めた先進国フランスの、植民地であった。
現地の女性は多くの絵に登場し、そのプリミティブに対する、画家の感動は描かれるが、
彼女たちの視線からではなく、画家の身勝手さが気になってしまうのだ。
ストリクランド(ゴーギャン)は水夫上がりの株仲買人で、挫折した個人ブローカだった。
タヒチにいる時も、自分の絵がパリで売れているかが気になったということだ。
ワタシには、この「金銭欲の強さ≒身勝手さ」と重なって見えてしまう。
「コリャ困ったな・・・」が2月になっても続いた。
その後たまたまTV放送「パリを捨てた画家 謎多き一枚」があり、DVD録画し、
繰り返し見た。やはりメディアの情報量では「映像情報」が桁違いに優れている。
小説の「行間」を読めたとしても、「謎多き一枚」の説得力はすごかった。
その一枚の絵の題は「かぐわしき大地」という。
(ワタシは昔たまたま、倉敷の大原美術館で見た記憶があることを思い出した)
通俗小説家モームはハッピーエンドにして、とりあえず、彼の小説を閉じた。
思うにモームは「月と六ペンス」というタイトルを先に決めて、主人公ストリクランドを
描き始めてしまった。彼の死後、タヒチや終焉の地マルキーズ島を訪れて取材をした。
補強の現地取材だが、書き始めたのは名声が聞こえ始めた頃で、その当時持っていた
イメージと、現地で見聞きしたものとは、論理が合わない・・・
しかしタヒチの本島から離れたマルキーズ島で見た夕景が良かったのである。
終焉の地でモームが感じたモノは「神々の黄昏」(マーラーの曲もある)だったようだ。
「取り合えず、エンドだ・・小説名は月と6ペンスだ」を決める。
「月」は「女性」、「理想」と言う意味らしい。
「6ペンス」は2ペンスが最小単位の貨幣で「文:もん」だから「三文」のことだ。
つまり「安い」とか、「ありふれた」とか「現実」と比喩される。
小説名に「なーるほど」と頷くのである。
この辺りが通俗作家なのだが、それから五〇年後、
今の我々と同じ老年なってに書いた「人間の絆」(Of Human Bondage)では
「人間たるもの」の見方を正直に告白している。だからモームは面白いのだ。
全体を紹介するのはこの場では不適だが、パラ読みをして思いがけない一節に突き当たる。
それは少しこじつけだが、その2の「Kクンの見たどんな景色と、どう結びつくのか・・・」
の説明をしてくれているのだ。
はてなブログの 人生は無意味だ──『人間の絆/モーム』から引用する
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「人生はそこら辺に咲いている花のようなもので、それはそこに咲いているというだけの
意味しかない。いづれ枯れるし、枯れたらそこで終わりだ。
しかし私たちは花を見ることによって「綺麗だ」と感じることが出来る。
---中略---
自分なりに好きなように模様を編んでいけばいいのである。幸福とは無縁に見える織り模様
だとしても、私たちはそこにある種の美しさを見いだすことが出来るかもしれない。」
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知る限りではK君の絵は景色が多い。それがKクンが「綺麗だと感じた模様」なのだ。
K君は好きなように、素直に織り込んでいけば良い。見る人に、自分が感じたように、
全てが伝わらなくても良いのではないか。(見る人の感性でもっと別の模様を見てるかも)
いわんや後期印象派(私たちも政府が勝手に決めた年齢の方では後期だが (*^O^*))や
写実派などの区別は要らない。芸術の類いは『感動のお裾分け』の行為でよいのではないか。
さて現実の今年のKクンの示現会プロジェクトはどう進展したのか・・・
3月になって急速に進展する
20180314
展示会予定通りですか?→最悪のケースを考えて(>o<)
あの島の夕景ですか?
題名の候補は1月にいくつか完了しています。
GOであればいくつか候補を送ります。
夕方になるとKクンから
「思い通りのイメージが表現出来無くて悪戦苦闘しています。
今までこんなに苦労したことは無かったのですが、出来るだけ写実を離れたいと
試みているのが一因かも知れません。
モーレア島に沈む南海の夕陽の明るい光、光を背後から受けた雲、上空の、
下から光を受けた雲、と海が画題です」・・・
20180316
「やはり初めの通りモーレア島の夕景か」と確認できたので
タヒチ→ゴーギャン→モームについてたどり着いた結論を彼に伝えた。
ゴーギャンはとにかく烈しい人であることに間違いは無い。
タヒチの住人は彼にとっては植民地の背景でしかない。
後期印象派のフランス人のために「忖度?」する必要は無い。
モームは欧州人でもゴーギャンとは全く違う。
彼の生い立ちもあります。ロシア革命の頃英国の諜報機関のメンバーで
医学者でもあり、人間に対する興味が大きいのだ。
彼はコスモポリタンであり、今のグローバル主義者ではない・・・
20180321
と言うわけで、ワタシから今回の絵のタイトルを、いくつか提案した。
その後すぐに、彼は制作中の絵をワタシにメールで送ってくれた。
結局Kクンはゴーギャンに対して執着していたのではなく、「絵の表現』だったのだ。
その絵を見て、ワタシはびっくり仰天した。
ただし、タイトルの中で表現したかった文言が、彼のリクエストににはあった。
そして、またひとしきり、携帯やメールのやりとりがあり、
目出度く、最終のタイトルが決まりました。
----予告編はここでEND---- 2018/03/31
20180408「彩雲の昏ルルに遠く」を見て思ったことなど
4月8日 新国立には早めに、開場時刻に合わせていった。
27号室に直行、すぐに、遠くからでも見つける事が出来た。
かなりエネルギーの充満した絵だ。想像していたより、ずっと良い絵だ。
中心は太陽の水没する辺りなのだろう、色温度から推測すると1000℃近辺。
昔、鉄の熱処理をやったことがあって、この色が判る。
もとより太陽の表面は6000℃で、大気層を介しての温度だが、すごいエネルギーだ。
この頃エネルギーに凝っているので、「メガジュールではなく、ギガジュールかな」
などと言っても少しも科学的ではない。
全体の構図は中天の青空まで爆風が拡がったようだ。
(この写真↑は絵の中心部分を切り取ったもので、絵の全体構図はメール本文に貼り付け)
この描き方は写実ではなく、勢いというか、ブレークと言う「気分」を描いている。
ブレークも「壊す」とか「中休み」とか「はじめる」とか多様な使い方があるが、
「大ブレーク」の意味で、岡本太郎の「芸術は爆発だ」を思い出した。
こう言ったのは岡本太郎が75歳の時の話しだそうだ。
https://youtu.be/G9I1hEzv6Hk ←寄り道してみるのも面白い
糸井重里の「何だ、これは!」も流行語になった。
75歳はそういう気分になりやすい「お年頃」なのかも知れない。
健康保険が国保になる年齢とは関係ないようだ (*^O^*)
明治を代表する文化人の漱石(50才前に死去)の足跡を見てみよう。
①「我が輩は猫」、「坊ちゃん」、「草枕」等を書くのは38歳(64歳)ころで、
②「三四郎」や「こころ」・・「それから」を書くのは42歳 (72歳)だった。
※(**歳)は明治人の年齢を、平成の平均寿命データで、今の年齢に換算した。
小説の①は経験を積んだ壮年の作品、②は達観した老年の作品と言えなくもない
とすると、ワタシ世代達は「これから?」を描きたいのかも知れない。
「それから」の間違いではないかと、指摘を受けるかも知れない。
「それから」と「これから」は自負の違い?だと言いたいのだが・・・
・・・こんがらがるから「閑話休題」
展示会の前の、「Kクンの絵の予告編」で言ったように、今回の絵の「命名」を
引き受けた。ワタシの独断ではなく、制作者Kクンの気持ちを汲まなくてはならない。
ヒアリングを重ねた。
まずは「タヒチの夕景」だ。これは美しいのが有名である。
本島から離れたマルキーズ島は、ゴーギャンの終焉の地だ。
このフランス人に忖度(今年の流行)すると、題名は「神々の黄昏」くらいが出てきてしまう。
しかし普段のつきあいで、ワタシとKクンとの類似点は
「余命ということばが嫌い」なことだと勝手に思っている。
「余った人世なんて世の中には無い」という意味である。
ワタシ達世代は「これからが人生だ」という意識である。
それを大事にすると、藤沢周平の小説「三屋清左衛門 残日録」の一節
「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」が、ワタシ達の「気分」として出てくる。
このままをパクるかとおもったが、なんと文字数に制約が10文字なので、字余りだ。
命名締め切りの数日前に、Kクンが未完の「絵」をネットで送ってくれた。
「なーんだ、こんな絵かい・・・」、騙されたようでビックリした。
あの明るい水面の先を見ると、「まだしばらくは地獄の蓋はあかない」といっているのだ。
それなら「残日録」でいくけど、なんとか五七調にはしたいと指折りして、奮闘していた。
しかしクライアントのKクンは「光彩」とか「輝き」も好きだと、さらに伝えてきた。
「そんなら早く言えよ」とブツブツ言って、解決は一気に進んだ。
たどり着いたキーワードは、私も好きな「彩雲」だった。
「彩雲」は出所が藤沢周平から李白にワープする。
ワタシたちの頃の漢文のテキストにのっているのは、漢詩的誇張もあるが、書き下せば
「朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日にして還る」
李白が白帝城を出発したときの彩雲だ。朝でも夕でも彩雲は「吉兆」とされる。
やっぱりKクンの描きたかったメッセージは、余生の楽しみをにじませて、
黄昏とか、安らぎを描いたものでもなく、「出発の歌」だと思った。
この推測が当たっていると思ったのは、後からKクンはこのように伝えてきた。
「昨年の『風立ちぬ』の続きが描きたかった」とのことである。
とまあ和漢のパクリで、めでたく「彩雲の昏ルルに遠く」が生まれた瞬間だった。
示現会の展示会でKクンの絵をご覧になった皆さんには、いかがだったでしょうか。
彼の思いが様々に伝わったことと思います。
ほとんど誰もいない展示室で、ワタシは30分位は楽しんだ。
いろいろなものに気がつく。やはり彩雲が絵の中心だ。
雲は強い風で飛ばされ、海に没する前の太陽に背面から照らされて、プリズムとなる。
これが彩雲のシカケだ、規則的に七色の必要は無い。
考えたら、ここは今が、南半球だから、夏に向かう時だ。
夕方といえども海面からの上昇エネルギーはまだ強い。
そしてあの爆発のさまをKクンはパステルカラーのように描きたかったにちがいない。
ダイナミックな現象だから、静的な写実では不適当だ。
思い切って、画家が写実から離れたのはこの辺りなのだろう。
逆に左端にある雲(サツマイモを横にしたような)に大変苦労した跡が見える。
もっとも雲のかたちで写実性を気にする必要は無い。
なぜなら、啄木は「雲は天災である」とバッサリ言っている! (*^O^*) :ユーモアだよ
聞けば、彼が最後に書き加えたのは、手摺りと鎖(ロープ)で、右下のコーナを占める。
実はこれがかなり雄弁で、立ち位置はボートの甲板の上だと、しゃべりはじめる。
これを加えたおかげで、画面のバランスだけではなく、見方によれば、
「この世から、あの世を遠望している」感じがした。
なぜか創世記の地球を見るようで、上面は火砕流のように描かれている。
海面を見ると、海底から「隆起して間もない火山」の感じがする島が見える。
以下は私感だが・・・・
絵を見る楽しさの一つに、絵のパーツの一つがきっかけになり、
見ている人の記憶の一部にシグナルを送る。
見る人は触発され、絵を描いた人の主題とは違うものに、見る人が思いを馳せることがある。
(もっともワタシのインデックス・メモリーはすこしクセがあるのだが)
この島は10mくらい離れてみると、今は昔の帝国海軍の巡洋艦のような気がする。
沈んでいく夕陽に向かって、今でも、追いかけているように疾走していく・・・
この艦は多くの将兵と共に、南の海に沈んでいった。
生命を繋ぐように艦が沈んだ1ヶ月あまり後で、自分はこの世に生まれた。
以来この歳までずっと、何の文句もない、平和な世の中で、好きに暮らしてきた。
誰に向かって言えば良いのか分からないが、「おかげさまで・・・」とつぶやいた。
何度も南の島を訪れ、皇后さまと、南に向かって掌を合わせる、陛下のお気持ちが分かる。
そんなユニークな世代が、ワタシ達なのだと、この絵を見て思った。
「絵」というのは何派でもよい。見る人間の感性でいかようにも変わるのだ。
ワタシはKクンに「こんな絵を描いてくれてありがとう」といいたい。
お返しに 用意していた一句をおくる。
彩雲の 昏ルルに遠く 海の果て
018/04/21 前嶋 規雄 記
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