☆12月8日 「漆黒の闇 風花が舞う」奥山温泉
富士川の川沿いにある、身延線の十島(としま)、無人駅で我々の他は一人がおりる。
町営バス(日に数本、1時間乗っても100円)で、登山口まで運んでもらう。
今宵の目的地は町営の奥山温泉、標高は600m、文字通り奥山の湯の宿まで歩く。
木々の葉はかなり落ちていて、もう冬景色だ。
ぬる燗の温泉、内湯で充分暖まってから、露天に移動する。
外の気温は5℃前後であろう。寒い。湯の面を山風が渡る。
その代わり、首だけ出してじっとして何分でも入っていられる。
天気予報は「昼過ぎに前線の通過予定」とあり、夜は満天の星を期待した。
通過は遅れたようで、雨にならずに歩くことができたが、夜霧で星は見えない。
露天には、寝る前にまた入った。誰もいない。
見えない程度の霧雨に顔面で気付く。
内湯の灯りを背中にして、首だけまげて露天の空を見ると、「あ、風花だ!」
天から風花(かざはな)が落ちてくる。
それがある時は牡丹雪に変ったり、風で渦を巻いたり、見ていて飽きない。
そんな時には「こころ」は何も考えていない・・・
「空」なんてカンタンなもんだ (^_^)
今は枯れて風に落ちた楓の葉が、湯面(ゆおも)の下で揺れている。
文字通り奥山の、露天を占領する。こんな旅は予期もしなかった。
湯の面に かざはな舞いて 漆黒(くろ)の闇
時しめやかに こころ失(なく)せし
ーーーWikiによればーーー
風花(かざはな)は、晴天時に雪が風に舞うようにちらちらと降ること。
あるいは山などに降り積もった雪が風によって飛ばされ、小雪がちらつく現象のこと。
からっ風で有名な静岡県や群馬県でよく見られる。
冬型の気圧配置が強まり、大陸から日本列島に寒気が押し寄せてくると
日本海側で雪が降るが、その雪雲の一部が日本列島の中央にある山脈を越え、
太平洋側に流れ込んできたときに風花が見られる。・・・・とある。
ーーーブリタニカはもう少し科学的な説明だーーー
晴天の空から雪が降ってくる現象。高い山の風下側で,山越えの風に乗って雪片が
飛来することが多い。降雪の雲の本体は風上側に残され、風下は乾燥した下降気流が
卓越するために晴天となり,雪片だけが舞ってくる。
寒さが厳しい北西の季節風の強い日に,山の風下側で多くみられる。
「風花(かざはな)」は、カタチはもとより、その響きを耳で聞いても、文字を見ても、
風雅そのもの、お国自慢だが品格がある。(^_^)
「かざはな」が昔の日を思い出させた。
郷里を離れ大学生になった頃は、例によって異郷の友と互いの故郷の話になる。
「お前の実家のあたりは雪が降るか?」になる。
「いや降ったのは記憶にない、あったとすれば、風花くらいだ」とこたえた。
多分その友は「風花」は何のことか判らなかくて、頷いてくれたのかも知れない。
(Wikiが正しければ)ローカルの話で、説明不足だったのかと考えた。
そんなときに、覚えていた旧制静岡高校寮歌の一節が浮かんできた。
「♪ 地のさゞめごと秘めやかに 安倍の川瀬の奏(かなずれ)ば
芙蓉の峰は厳かに 天(あめ)の黙示をもらすなり
ゆかしの陵(おか)や静陵(せいりょう)は
高き望を富士ばらの 匂にこめて集ひ来し 我等が舘(やかた)そびゆなり・・」
https://www.youtube.com/watch?v=Hdj4gtwc3G8
多くの学生が、疑問を持ちながらも、戦地に倒れていった。
彼らもこの風花を見たであろう
わずかばかり後に生まれた我々の世代は、全く違う青春時代をむかえられたのだ。
だから何となく重苦しいあの寮歌の先頭のフレーズはいくつになっても忘れられない。
それで、さきほどの歌は代わってしまった。
漆黒(くろ)の闇 地のさゞめごと 秘めやかに
かざはな舞いて 往事(むかし)おもほゆ
ひょっとして、明朝この宿の辺りは雪かと思わせる風情だが、興津川沿いを下るのか、
安倍川に出て下るのか、富士川に下るのか咋夜まで決まっていなかった。
級友との旅寝の空は気楽なものだ。
☆12月9日 細島峠をこえて葵高原(有東木)へ
今朝は大快晴、これで一踏ん張り、峠を越えて、安倍川側に下ることに決まった。
宿を出発して、今日の目的地である駿河と甲斐の境にある細島峠を目指した。
天気さえ良ければ、少しはがんばれるからだ。
でも結果的には、結構ハードな登行の一日となった。
理由は道が不明瞭で、ガレ場の多い、廃道に近い登山路であった。
何よりも途中から、国土地理院の地図にも載っていない道を、律義に付けられた
赤いテープを探しながら、道は目的の峠までの直登となった。
道が高度が800mを越した辺りで、ふかふかとしたスギナの中に何かキラキラ光る。
そうだ、咋夜の「寒気の訪問者」の落とし物を発見したのだ。
近づいてみる。これがその証拠写真だ。
ホームズ氏に見せれば、小粒だが大量の「碧い紅玉」の原石だというかもしれない。
金田一耕助氏に見せれば、「金平糖だ?」というかもしれない。
吾人は、咋夜に峠を越えて降りてきた寒気が、この辺りでおとした雹(ひょう)と思う。
身を軽くした「花の精」が「風」に乗って、さらに下のあの温泉に来たのだ。
これが「風花」のご神体なのだと腑に落ちた。
畏れ多くて手が震え(白状すれば氷点下で手が痛くて)、写真のピントは合わなかった。
み姿を われに見せしか 花の精
かくのごときか 不思議の国は
少し斜度も高まると森林帯に入る。
突然「キャン」と言う声でそちらを見ると、さっと獣が跳びあがって林の中へ逃げ去る。
思わずハットした数秒後に、もう一頭が後を追う。
ああ鹿だ!
ペアーの楽しい時間を、老人二人が邪魔をしたかと、思わず面白かった。
前期高齢の最期の山はビックアドベンチャーだった。
ラストは浮き石とガレ場の急登が続いた。210分(休憩2回含む)の厳しい登りだった。
そこから廃道のような記載の「細島⇔葵」の標識のにしたがって、下る決断をした
良かったのは、踏み跡とテープがなんとか続いたことだ。
方針を決めたので少し下がった陽だまりで、簡単な昼とした。
すっかり葉を落とした木々をすかして、安倍川の西の山を見る。
これが冬枯れた山里の風景だ。
耳を澄ませば渡る風の音 静かだ。
今年は11月に別の級友と安倍奥の宿を拠点に、旧安倍峠、山伏の蓬峠、安倍大滝など
紅葉をめざして彷徨を重ねた。
いずこも中学生のころから山に親しみ始めた故郷の山域である。
故郷の山にむかいて いうことなし 故郷の山は ありがたきかな。
歩みは続く・・・・ 2017/12/24 前嶋 規雄 記