「老人と山」                      サイトトップへもどる

 Gentleman!ヘミングウェイの「老人と海」は若いころ

お読みになったことだろう。

「英語のテキストで読んだって!」そういう友人は放置して、

今回のタイトルは「老人と山」で、紛れもなく、小生の拙文である。

ただしあの作者の描いたロマンとは、較べようもなく「ひかえめ」である。

 


 老人は英文では「オールド・マン」である。ところで日本政府はこれを「高齢者」とした。

無教養な誤訳もいいところだ。「オールド・マン」には人生を重ねた人に対する敬意がある。

「高齢者」は社会コストの対象でしかない。そのコストを削って教育費に回す?

これではゼロサムの再配分だ。

 前文の前文が長くなった。  ---閑話休題---

 今年の暮れには後期高齢者になる。「それまでに未踏破の山を・・・」という気持ちは

さらさらなかったのだが、結果として訪ねていない百名山が一度に、二つ減った。


 恒例の秋の早い頃の山行は、大抵初めてのところを歩くことにしている。

気になっていたのが、信越の山としてはどこから見てもそれと分かる、妙高山である。

 昔、妙高山を燕温泉から単独行で登り始め、あまりの遠さに危険を感じ断念した。

「はるかなる妙高」は、よく行った野沢のスキー場の一番高いところから、天気が良ければ

それと見える。ずっと行きたい山だった。

 泊まりたい山小屋が改修中で、宿泊が制限されていて、小屋の予約できる日に合わせて

登ることとした。

 妙高山がタフな登りであるのは知っていたから、今回こそなんとか完登と思い、

いろいろなルートを考えた。

 もう一つの登山口である笹ヶ峰は、車で通り過ぎたことはあるが、その奥にある頸城

(くびき)三山のもうひとつの名山である「火打山」見たことがない。

しかし高山植物や池塘の見事さは、山好きな人からよく聞かされた。だからこれも行きたい。


 両山の距離は、縦走路中間の髙谷池のヒュッテをベースにすれば、共に半日の行程である。

オールド・マンは、妙高高原に前泊をし、翌朝に笹ヶ峰から登り始めるという一計を案じた。

というわけで、火打山と妙高の2つの山を、あまり無理をせずに、歩くことができた。


 歩き始めの笹ヶ峰高原の標高は1600m、この地は、時まさに秋、錦秋の色であった。

草紅葉、黄色の鮮やかな広葉樹、真打ちのナナカマド、皆で秋を謳っていた。

今年の天気も異常だったが、「自然の歩みは確かだ」と心に刻んだ。

1日目)

 妙高高原の前泊をよいことに、長野でひさしぶりに善光寺参りをするために

信越線(しなの鉄道)に乗り換える時間をとってあった。

長野はピーカンで夏に日のような光の強さだ。

 まずは門前の蕎麦屋さんで、暑い日に、あたたかい蕎麦をたのむ。蕎麦の実力は

戸隠のほうが上と思い込んでいたが、どうして、どうして・・・

善光寺は線香の香りに、相変わらず参詣者が絶えない。


 電車で行くのは久しぶりだ。長野からは「しなの鉄道」、懐かしい豊野を過ぎる。

あの唱歌「故郷」が生まれた町だ。ここを過ぎると電車は山の中を登る。

何もかも懐かしい信州の原点だ。電車が分水嶺を登り詰めると赤倉に着く。

いまは「妙高高原駅」である。

 降りる人もまばらな駅に、今日お世話になるペンションのおばちゃんがダイハツの軽で

むかえに来てくれた。大阪のご出身とのこと。ご主人は淡路大震災の頃、体を壊し、

思い切って会社を辞めて、夫婦が好きな妙高に引っ越してきたとのこと。

これも大きな決心だったと思う。ペンションのオーナにはこんな人が多い。


 日の残る時間に着いたので、汗を流し、ビールを少し飲んで、ご近所散歩に出かけた。

コスモスが咲いている。これが「信州の秋」なのだ。

 遠くの山際の雲の間に、ひと目で分かる妙高のテーブル状の山が見えてきた。

これはもう感動しかない。妙高は火打山とともに頸城(くびき)三山の中心をなす。

「妙高」は「世界中心の山」という意味の仏教語だそうで、通称は「越後富士」である。

 誰かのタッチに似ている!そう東山魁夷さんの水墨画だ。
彼の絵には長野県を題材にした絵も多い。

 

 後から確認すると左の山は妙髙の外輪山である赤倉山のすっぱり切れた壁だ。

写真にはないが、右側は前山とその奥に大倉山が見えていた。


2日目)

 リッチな朝食を早々にして、笹ヶ峰までおばちゃんに車で送ってもらう。

感謝感謝・・・というよりは、旅人にしたら、中抜きのカンニング近いかも。

でもオールド・マンは、「文明の利器」を平気でつかう。

 登山カードを出し、登り始めたのが7:40分。今日は16時まで8時間余の、

トレッキングを楽しむことになる。

 「十二曲り」の坂を越て、富士見平を過ぎる辺りから、火打山が全容をみせる。

まず昼前に今宵の泊まりの髙谷池ヒュッテ(2105m)にチェックイン。

 一服して、サブザックで身軽にして百名山の火打山(高度差は300m余)に向かう。

少し歩けば「天狗の庭」なる池塘が点在する。草紅葉の中に紅葉樹が点在する。

風のない水鏡には「逆さ火打」がたおやかな峯を写す。いつまでも佇(たたづ)んでいたい。

 

 

 

 気を取り直して、ゆっくりと登る。雷鳥平をすぎて、まもなく頂に着く。

百名山らしい人気(ひとけ)はなく、火打山の頂きは静かで、しばらくすると今回同行

してくれた友人二人の、オールド・マンの世界になってしまった。

 不自由になった、自分の耳に聞こえてくるのは、ゲーテの「さすらいびとの歌」だ。

 

    全ての山の頂に、憩いがある   高橋健二訳

時の流れをしばし惜しんで山を下り始める。少し降りては景色に見とれてカメラタイム

 晴天とはいえ、夕刻が迫ると谷間を雲が登ってくる。

この雲は層雲の一種で、尾根を越えて下る雲を「滝雲」と言うことを後で知った。

越後の山で発生が多いらしい。それも一致する。

 

 短時間で尾根を渉るすがたは、滝雲とは言い得て妙で、如何にもスローモーションの滝だ。

立ち止まって雲を見ているのは私たちだけではなく、ナナカマドの紅い実も見ていたのだ。


    秋長(あきた)けて  降る雪の日を  待つばかり

 

 ナナカマドの真っ赤な実もちょうど7個、「秋」を写真に切り取った世界

  日は残り 火打山(ひうち)の尾根に ナナカマド

        滝雲(たきぐも)流れ    初雪ちかく

 

 この頃、カレーを売り物にする、山小屋が増えた気がする。

単に食材の搬入が難しいからではなく、時間をかけて煮込んだ、そこらでは味わえない

「こだわりのカレー」だ。

髙谷池の小屋は、長方形のプレートの真ん中に、仕切りのように白いご飯を盛り、

カレーとハヤシが両サイドに注がれている。どちら側からでも、ご飯と混ぜて食べる

ことができる。「一粒で2度オイシイ」の類いだが面白い。(ただし特許にはならない?)

 ビアサーバの都合?で、17時以降に、アルミ缶ではなく、生のジョッキーが飲めた。

ここまでやると不思議な晩餐になる。

 小屋は適当に空いていて、居心地は良い。明日の晴天を信じて、夢路につく。


3日目)

まずまずの晴天で、昼までは晴れマークである。

 6:26小屋出発、黒沢池ヒュッテ経由でトラバース気味に2時間程度歩く。

妙高の急登に取りかかる頃は、ほとんど夏に近い暑さがこたえる。

ここから上が、遠くからでもテーブル状に見える、あの隆起した火山の、岩だらけの直登だ。

最近の筋力の衰えを意識して、ゆっくりと登る。

オールド・マンは「金持ち」でなくても「時間持ち」なのだから。

高度差400mをなんとかよじ登り、夢に見た妙高の頂2446mに立った。

 2017/9/27 ちょうど正午、これが74歳の私の山である。

 オールド・マンが登る山で一番怖いのは、自分が本当に登山路のどこに居るか判らない

ケースである。焦って「沢筋を降りて滑落」という事故がよくある。

それも統計的には、午後の帰路で発生する。

 私が永年愛用するのはガーミンと言うアメリカ製のGPSに連動するモバイルだ。

仕組みは3個の衛星を捕捉して自分の位置を算出する。ところが衛星を捉えられない

「衛星ロスト」は窪んだ山際ではよく起きるのだ。(打ち上げられた「みちびき」が楽しみ)

次の絵は今回の歩いたトレース(ピンクの線)で、帰ってからパソコンで編集したものだ。

 

 

 ゲーテでなくても、山の頂には、いろいろな憩いがある。

なかでも、「山登りが続けられて良かった」、そんな丈夫な体に生んでくれた親に対する

感謝の気持ちが、一番だろうか。

 山巓(いただき)では、今どこに居るか普通は判る。

人生も、自分の「立ち位置を知る」ことの大切さである。

それで初めて人は「次の歩み」を考える事が出来る。満足感と共に・・・


岩を積む 妙高の峰 ふり返り

  想いは尽きず まだ知らぬ道

 意識しないでも呼吸ができるように、これからも自分のペースで山歩きを続けたい。

意識するのは少しでも「進化した自分」が見つけられるような「日々の暮らし」だ。

 「百名山」等というランクは浮き世の仮の符丁で、その人の感動で山の価値は変わる。

人間いたるところ、(青山ならぬ)名山があると思う。


 節目の歳のせいか、えらくまじめな文章になってしまった。

 下界に降りてくると「選挙だの、なんだの」の世界になる。

しかし吾人には、どんな祖国がよいのか、価値観がしみじみと語られたことはない。

目先の手段の選択が、目的にすり替えられたに過ぎない・・・

妙高高原駅前の酒屋さんでロング缶を買い、待合室のベンチでブツブツと考えていた。

これはフツーと逆で、「山で浸った興奮」を「ビールを飲んで醒ます」儀式なのだ。


 長野駅に向かう「しなの鉄道」の電車が、ホームに入ってきた。


   山行 2017/9/2527           2017/10/12 前嶋 規雄 記

                                                サイトトップへもどる    

20171224風花幻想