「風立ちぬ」物語                    サイトトップへもどる

 友人の絵を百倍楽しむ方法   2017/04/20

 

 これは友人の描いた一枚の絵の物語です。

4月10日に六本木の国立新美術館にいきました。示現会の70周年の展示会です。

今年も、学友Kクンのすばらしい油絵を見ることができました。

 

 

 甲賀 新 「風立ちぬ」  70周年示現会展 国立新美術館

 

 ご覧のような作品です。

いつもの「Kクンのタッチ」で、ススキやひかりで、「風」を精緻に描いています。

ひかりは支尾根の凹凸に複雑な陰影をつくり、マッシヴな力作です。

彼が好んで描く「ひかりの道」は、私も好きなモチーフで、

トルストイの「光あるうちに光の中を歩め」をおもいだします。

 

 全体は、昼が過ぎて少し強くなった風が、奥に重なる山の頂(毛無山)から、

風神が千切れ雲を吐き出すような感じで、吹いてきます。

これが「空:そら」のただならぬ印象を作っています。

前作とすこしちがって、このただならぬ感じというか、高揚感というか、

よく考えると、彼が伝えたかった「意思」のようなメッセージが伝わってきます。

 

 今年の初めに、朝霧高原の「雨ヶ岳」などの制作情報とタイトルが、あらかじめ私に

知らされていました。その絵のタイトルが「風立ちぬ」でした。

 

 あらためてこの絵をみると、4月4日に現場?を下見に歩いただけに、彼が描いた

昨年の夏から秋へとは、季節が違うものの、山容や、光の角度から「なるほど・・」と

おもえる風景でした。

 

 タイトルの予告を受けたその日から、小生の頭の中では、「風立ちぬ」が

ずっと一人歩きをして、妄想の雲が湧き立って、結構楽しかったのです。

 

 「風立ちぬ」は瞬時に、「堀辰雄のあの小説か・・・」と思い込んでいたのです。

当時の私たち高校生が、背伸びして読んだ小説なのです。

今読み直してみると、恋愛小説などと少し違うなという気がします。

すくなくとも相方が先に死ぬだけの、古今東西によくある悲恋物語ではありません。

(絵のタイトルの出所は、昨日、ご本人から訊いて、ピンポン!でした)

 

 小説の筋書きとして、「風が立った日」から後のことがなにも書いてないのです。

「空(くう)」だから、「すべてが描いてある」と言えばそうですが・・・

 Kクンは、「絵空事」を描いてしまったと、気にしていましたが、

ワタシはバガボンのパパのように、「それでよいのだ!」と思います。

ただ小説には「風立ちぬ・・・いざ生きめやも」と何回も引用されています。

 

 そうなのです。これは聖書の伝導書から引かれ、フランスの詩人ポールヴァレリーの

「海辺の墓地」という詩の一節になり、その文言を堀辰雄は翻訳して使ったのです。

ここまでは当時の高校生は知りませんでした(^-^)  昭和11年発刊

 

 ストーリーはご存じのように主人公の婚約者が、当時の不治の病にかかり、

高原の療養所で、夏から秋まで付き添って過ごした日々を、堀が描いた私小説です。

 あの小説が書かれた舞台(Fサナトリウム)は、八ヶ岳山麓の富士見(F)高原です。

八ヶ岳から視線の向きを変えれば、富士が遠望されます。

 

 八ヶ岳は、偶然にも、学生時代のKクンと小生の、共通の想い出の山だったのです。

(それを知ったのは、示現会の絵を見て、彼と言葉を交わすようになった最近のことです)

ですから、Kクンも「八ヶ岳まで絵を描きに行くのが大変なんだ」くらいに理解して、

近い場所で雰囲気が似た、朝霧高原から見る「毛無山塊(写真参照)」を選んだのだ

と思っていました。

制作意図は、山肌を逆光に描きたかったとのことですが、地形図を読むと分かりますが、

逆光の絵にするには、少し「絵空事」を使わないと苦労したようです。

 

 ここまでなら「ああそうか」でオシマイになったのですが、少しお節介なのが私です。

「風立ちぬ」はいいとして、「いざ生きめやも」って、一体なにをするんだい?と

思い始めました。

 

 こうなるともう現代の法師(彼が命名したワタシのこと)はネットワークを駆使します。

「風立ちぬ」でひいて、先に出たのは何と、ジブリの宮崎駿さんの「風立ちぬ」でした。

ワタシは宮崎さんのDVDはかなり持っています。

宮崎さんは私たちとは、本当に共感できる同世代なのです。

しかも宮崎さんは「終わらないヒト」なのです。(昨年末のNHKの録画も所有)

彼の「風立ちぬ」ばかりは思いつかなかったのです。(あいにく放送でも見ていません)

 

 こちらは「零戦の設計者」の堀越次郎さんが主人公で、しかも相方がやはり結核で

亡くなるスジは、下敷きは間違いなく堀辰雄さんからです。

小生も堀越次郎さんの本は文庫本で10冊くらい読んでいます。

ここで支線に脱線すると、この物語は終わらなくなります.

 

 従って関連する結論だけ先に言うと

宮崎版は"今の時代、必要なことは力を尽くして生きることだ"とのことです。

シネマは「わたしの分まで・・・あなたは生きて・・・」という台詞になるのです。

これは本当に、重いというか、人間の美しさをみせたかったのだと思います。

 

 調べる内にわかったことは、小説家として堀田善衛さんを宮崎駿さんは尊敬しており

思想的な影響を大きく得たようです。

堀田さんは終戦後に作家としてデビューしたのですが、右でも左でもない進歩的な知識人

です。この堀田さんが生き方の面で、宮崎さんに影響をあたえます。

 さらに、この二人に司馬亮太郎さんを加えた鼎談もあるようです。

こちらに脱線したら、ちょうど試作された日本の戦闘機のように、物語は空中分解ですね。

でもこの3人の共通な価値観というのも判る気がします。

 

 宮崎さんの「風立ちぬ」は、印刷された文字だけによるものではなく、

メディアの映像と、生身の言葉を駆使して、そして主題歌の旋律も良くて

すばらしい終わり方までをみせてくれます。

いつもの私の「我田引水」ですが、これが現代のマルティメディア芸術です。

閑話休題

 

 メディアの中では情報量の密度の高いものは「絵:イメージ情報」だと思います。

示現会の絵の出展者がつけるタイトルは、8文字以内という決まりがあるそうです。

「風立ちぬ」はインデックスとしてまだ4文字使えたのでしょうが、これで十分でした。

これほどのタイトルは、今回の示現会の何百枚の絵にはありませんでした。

 

 わが友が、どうしてこのタイトルにしたのか、昨日彼に訊くと素直にこたえました。

「サア、生きてゆこう と云った決意かと思っていましたが、違いましたか?」

との回答です。肩すかしを食らった感じです。

 ワタシは自分を、少しお節介というか、少し猜疑心?があるのかなと思いますが

わが友は実に「重いタイトル」をつけてくれたような気がしていました。

すこし考えると、今でも現役のドクターという彼の職業が≒彼の人生と考えれば、

彼は普通の人より、はるかに多くの生や死に付き添ってきたにちがいありません。

 多くの人が人生を、天寿をまっとうしたとおもえるように、彼も力を尽くしたと

思います。しかし本人にはもちろん、関わり合う人々にたいし、「いざいきめやも」と

言うことは、決して軽くはない言葉なのだとおもいます。

 

 このタイトルを事前に聞いて、私は彼の一昨年前の絵のタイトル:「下山」をみて

「軽い!」とうっかりコメントしたばかりに、「あれ今度はエライことになった」・・

「さあ何か言って見ろ」と言われたように、内心ではヒヤリとおもいました。

 

 そのせいもあって、どんな絵に逢えるのかと想像するために、思い当たる文章や、

映像も見ました。「ここが彼の制作現場かな?」と思える場所も歩いてみました。

 そんないろいろなことのすべてがあって、彼の描いてくれた絵を見ました。

 

会場の中でも、時間をおいて、何度か彼の絵をみました。

すごい特徴のある山や、きれいな色彩の花が描き込まれているわけではありません。

しかも展示位置が今年も上段ですから、見過ごされるかも知れません。

 

 しかし目を閉じると、この絵からは、ひかりの影や、風の音が聞こえてきます。

しかもしっかりとメッセージ聞こえてきます。

聴かなければ聞こえない、並んでいる他の絵とは別の種類の絵なのです。

いつも思うのは、感動とは、見る側に素地が無ければ伝わらないものです。

 

 お節介な現代の法師は、なんとかして31文字に、変換をしたのです。

(押しかけコラボですが)

短歌などと言うものは、「感動へのリンク情報」のようなものです。

中空(なかぞら)に  雲は流れて 風立ちぬ
      (こえ)が聴こえる  いざ生きめやも

追伸1

 私たちの青春時代のこころの故郷である八ヶ岳に、似た雰囲気の山塊がある。

静岡県の一番北に張り出して、山梨県に接する部分に位置する。

それが毛無山塊(1945m)である。本栖湖南岸から南につらなる山脈である。

おおまかに、北から竜ヶ岳・雨ヶ岳・毛無山と連なる。

写真では真ん中のピークが絵に描かれた雨が岳で、

張り出した尾根(支尾根)の裾の付近から彼の絵は描かれている。

 

2017/4/4 雨ヶ岳と竜ヶ岳の中間にある峠(端足峠:1200m)を目指して登った。

 

 歩き始めたのは、今は廃校になってしまった根原分校の辺りからである。

その昔中学生だった私たちが、学校行事のキャンプをした懐かしの場所でもある。

(Kクンは参加できなかったとのこと)

季節は秋と冬をへて、今は穏やかに春の日がさしている。

今回一人で歩いた峠には、4月でも、雪が残っていた。

峠から振り返ると、朝霧高原の上に、富士山が驚くほどの感動でそびえていた。

 

 彼は、彼の決意として、絵を描いてくれました。

現代の法師は、拙くても、これからの決意を、31文字でヒネることとしました。

 

 

 

  不二(ふじ)ひとつ そびえて高し 春の空

     われは歩かん はるけきみちを 

 

追伸2

絵を見ているとメロディが流れてくるときがあります。

今回はどんなメロディが頭の中に降ってきたか、お知らせしなければなりません。

2曲あって選ぶのが難しいのですがこちらにしました。

下記のリンクをコピーしてブラウザーに貼り付けて聴いて下さい

 

  https://www.youtube.com/watch?v=mdov5dJqQtg

 

    2017年4月18日 前嶋 規雄  

 

-----太陽と大地の恵みで 自立する国、日本を創ろう----- 

   前嶋 規雄  (オフィス エム・ソリューション)

 http://www.msolution.jp   

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