如月の望月の頃   2017/03/12        サイトトップへもどる

 ご無沙汰をしています。地中の虫にとっては啓蟄の日を過ぎたとはいえ、

人間さまにはまだ何となく、寒い感じで、縮こまりたい日が続きます。

「春は名のみの」っていう、あれですね。

 

◇ 旧暦で昨日が「如月の望月」

 でもそろそろ皆様は、花見のプランを立てられますね。そしてよくあるのは

「桜はいつの花を見るべきものか」という議論です。

私は学友達と、母校の高校選抜野球を応援にいく機会に、京都でも散策しようか

と言うことになりました。

こちらの場合は、1回戦の日程が抽選で決まっていて、桜の開花も早そうなので、

「京都のどこを見物しようか」と言うことになりました。

 

 わが学友Uさんは京都大好きのお兄さんです。ちょうど今頃の時分にあった歌を

「参考に」と5首あつめて送って下さいました。
中でも注釈付きで書かれたのが次の歌です

願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ 佐藤義清(のりきよ)

(-前略- 煌々と輝く月の光をあびながら振り仰ぐ満開の桜)

 

この歌は、わが友が言うように、後生伝えられたのは

願わくば如月の望月(2月15日ごろ)に満開の桜の下で春逝きたい」が
公式解釈になっています。

                             

詠み人の佐藤さんは、後に出家して西行法師になりますが、平安末期、宮廷親衛隊の

「北面の武士」の一人であり、どんな文献を見ても文武両道のスパースターです。

 

「如月」は西行さんの歌に 「その如月の望月の頃」と書かれています。

旧暦の215日では新暦の3月中旬(今年は2017/03/12です)にあたります。

 

◇ 問題は「その如月」なのです

なにが問題なのか? 下記に説明します。

 意外と南北に長い日本の国花である桜の開花は3月の終わりから5月の始めです。

明治になると日本古謡の「弥生の空は見渡す限り・・・」も世界に知られます。

世界に知らしめたのは、箏曲の宮城道雄さんが作曲した「桜変奏曲」なのだそうです。

これは文言通り弥生3月(新暦4月)が満開のコンセンサスと言うことになります。

つまり如月と、花の満開とはどうしても、一ヶ月のズレがあります。

 なぜこんな解釈が流布したのか???です。
昔のころは、知らないことや、確かめる手段がないときは、先人の言ったことを伝えたのです。
繰り返す内に真実は曲がることがあります。
インターネットの時代はコピーしてペイストです。正しくないことも流布します。
現代のどこかの国の魚市場の話もそうなのは、笑えないことなのです。

西行さんは亡くなる十年以上も前に、遺言のようにあのまれました

本当に桜の満開に合わせるならば

 「願わくば その弥生の 望月の頃」となり、1文字足らずにもなってしまいます。

吾人の歌の師と呼ぶには、まことに恐れ多いのですが、西行さんのエバンジェリストとして、
どうしてもこの「一ヶ月の差」を解明したいと思っていました。

まず今回調べてそれを知りましたが、如月の望月2月15釈迦の命日なのです

「だから私もその日に・・」と詠んだと解釈するのは、理に合いますが、腑に落ちません。

また弥生3月の語源は「いやおい」で「草木が勢いよく茂るさま」です。

これでは「死生が逆さま」になってしまい不似合です。だからもともと弥生ではありません。

 

◇ そこで私はやっと結論を出しました

「満開の桜の下で・・・」は、藤原定家など後世の人が言ったことです。

吾が西行師はそうとは言っていません!

(ただ権威のある人は歌の通り、如月の望月の頃を入寂した日としています)

すぐ思いつくのは、双岡(ならびがおか)の兼好法師の有名な一節

花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。--中略-- 咲きぬべきほどの梢、

散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。」と言っています。

明治になると、樋口一葉も「若葉かげ」と言う日記で、これを引用しています。

小生は、これが日本人の美的感覚だと思っています。

つまりこれに照らしても、願ったのは「満開の桜のころ」ではないのです。

西行師は「開花するか、しないかのころ、入寂」を願ったと思います。

人間は「これからを思いやる≒想像する」ことに、楽しみがあると思っています。

「満開」にはあとがなく、散ることしかありません。

 

私は思いました。

 「如月の望月の頃西行さんはなくなり、時は弥生となり、桜の花の満開になるころ

師は桜の花の精となり、吹く風にひらひらと、梢から離れて、いずこかに飛んでいく」

「寂滅」の世界です。そんなイメージが浮かんできませんか。
当時はもちろん土葬が普通です。
「花の下にて」は、「花の木のあたりに」でしょう。

吾が歌の師は、樹木葬を先取りしたひとと言えば、そうかも知れません。

蛇足です
・なくなって即日に「花の精」になるのは、少しせっかちです。

 「しずこころ」や、業平の「のどけからまし」などは、得難いものと思います。

・如月の望月に「花が満開だった」と言う可能性は2つあります。
  平安時代までは「花見=梅見」だったようですから、「花=梅」はありです。
  しかし西行さんから桜をとったら、なにも残りません
  もう一つは科学的で、「平安時代の日本の平均気温は、今より3℃ほど高かった」
  と言う調査があります。

◇ 南伊豆を歩いて、西行さんの不肖の弟子が考えたこと

「AIテクノロジーに夢中」などと小生がいうと、可笑しいのですが・・・

かくいう、21世紀の西行さんの不肖の弟子は、こう思います。

31文字だけであんな美的感覚を教えてくれたあなたに、エバンジェリストとして、

これからIT時代のマルチメディア形式で恩返しをしたいのです。

文字だけでなく、見えたり、聞こえたりするものが併存する事が大事なのです。

 実は私の好きな桜は、三分咲きの前後です。

誤解されそうですが、今年の桜とは2月の5日(新暦)に、友人と天城峠を越えて、

湯ヶ野の手前でひょっこりと出会いました。

峠の手前でバスを降り、旧トンネルを抜けたあたりから小雨が降り始めました。
ここまでは小説の「踊り子」と
全く同じなのです。
違うのは、春雨」と言っても冷たいのです。
思わず山道を歩く足が速くなります。

 

 天城こえ 里近からむ いそぐ道

  思わぬ迎え ほの紅き桜(はな)

 

川端康成のゆかりの宿のあたりでは梅の花も咲いています。

このあたりでは梅が先で、桜が後でもありません。

春を言祝(ことほ)ぐ、ダンゴレースです。

昨年の小諸の「遅い春」でもそうでした。

春雨のなか、濡れるのが気になるほどでもなく、宿の露天風呂を楽しみました。

 

  湯の面(おも)に 小梅の花の 白く散り

    静かにゆらせ 里の春雨

 

次の日は、うって変わって快晴! 福田屋さんの女将に見送られて宿をたつ。

南にむかって歩く。南伊豆で、早咲きの河津桜を楽しんできました。

 

見つけました。太い幹から、直接に桜の花が咲いています。

「いのち」をつないでいるのです。

 

 

人は死ぬと花の精になるという話は、洋の東西を問わずあります。

調べていたら世阿弥の「西行桜」に出会いました

老桜の精は、「煩わしいと思うのも人の心だ」と西行を諭します。

西行師の「春死なん」にふさわしいメロディーと言えば、宮城道雄さんの作曲した

「桜変奏曲」でしょう。

主題はもちろん日本古謡の「さくら さくら やよいのそらは・・・」です。

 

◇おわりに

 あと1週間もすれば「いざ見にゆかん」の季節です。

世界を見渡せば、私たちには、年齢相応の日本人らしい仕事が大事です。

しかし春は「日本人の遊び」に参りましょう。

     2017/03/12 前嶋規雄 記                

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