藤沢周平 三谷清左右衛門残日録(NHK)

No.41  2012/1/4 更新

ひとは詠う、季節の詩を
残日録

「塔頭・知足院」に入り込む

オジサン街道を行く 01    「南京編」
 都の紅葉も終わり、寒さに青空が透きとおるようになると、何となく奈良の街を歩きたくなる。別に決めないで歩く。鹿は角をなくして、何となく穏やかに憩う。
 また東大寺で会津八一さんの歌碑を見つける。
 おほらかに  もろてのゆびを  ひらかせて  おおきほとけは  あまてらしたり 
先生のひらがなだけのよみやすい独特の歌だ。 二月堂を経て北に歩く。

ひょっと前を見ると、一人の僧が自分のお寺に帰るのか、階段を上がって行かれるのに気づく。思わず少し離れてついていくと、小さな山門をくぐる。
 入り口には「知足院」と表札がある。何かこの頃気にしていた言葉に、不意に背中をどやされたような気がした。失礼ながら中を覗けば、塀は朽ちている。 足袋も履かれていない。
 「足を知ると言うことは心の状態か」・・・と勝手に合点する。唯物的に言えばこれが旅の収穫と言うものだ。

「歌姫街道」を歩く
 やっと目的地を近鉄の平城駅とする。しばらく西北に向かい「転害門」(良い名前だ)を抜けて佐保川を渡る。あれほど「春の女神佐保姫」の名前に連なる川としてはいかにも小さい。
 西北に向けて見当をつけて、道なりに歩く。ついに「歌姫街道」の標識に遭遇し、新発見と欣喜雀躍。ただ我が浅はかさは後から調べて分かるのだが、佐保姫とは関係がない。「歌姫」とは天平の頃、雅楽を演奏したり、歌をうたった女性達がこの街道沿いに住んだ事による。
 また歌姫街道はあの壬申の乱の時、あの近江朝の軍が飛鳥を攻めた軍勢が通った街道とのことである。その風情を残した狭い道である。
 数々の御陵の間を抜けるころ、いつの間にか陽は西に傾いた。 平城の駅はすぐそこだった。

ならやま(平城山)と そのな(名)はよべど  まろやかに
  はる(春)さむきの(野)に  ひ(陽)はかたむきて